今回は、時間は未来から過去に流れる、という教えについてのお話です。この時間論の中にある矛盾と、代わりになる時間のモデルについてお話ししたいと思います。
時間は未来から過去に流れる、という考え方は、苫米地英人氏が提唱して、苫米地式コーチングの根幹になっているものです。「過去はあなたの未来に一切関係ない」という言葉とセットで、コーチングや自己啓発の世界では広く知られています。
僕は10年以上、コーチングを教える側にいた人間で、この時間論も長く扱ってきました。それでも検証を重ねるうちに、どうしても説明のつかない矛盾がある、という結論に至りました。実は2022年に一度この批判を記事にしていて、今回はそれを、いまの視点から書き直したものです。
「過去は関係ない」と教わって、過去の話をすること自体に罪悪感を持つようになってしまった人にこそ、読んでほしいと思います。
時間は未来から過去に流れるという教え
まず、この時間論がどういうものかを確認しておきます。
苫米地氏の時間論は、著書の言葉を借りれば「時間は、未来から過去に流れている」というものです。川の流れのように、未来という上流から出来事が流れてきて、現在を通過して、過去という下流に流れ去っていく、というイメージで説明されます。
そしてこの流れは一方向です。過去から未来に向かって時間が流れることは、一切ないとされています。
ここから「過去はあなたの未来に一切関係ない」という実践上のルールが出てきます。苫米地式コーチングの公式サイトには、クライアントが過去について話し始めたら、コーチは過去は未来に関係ないと伝えて、話題を変えるよう促す、という運用が明記されています。過去を扱うこと自体が、コーチングの間違いとされているのです。
この時間論の意義
批判に入る前に、この時間論が何の役に立ってきたのかを先に見ておきます。
僕たちが普通に持っている時間の感覚は、過去から未来に流れるというものです。この感覚には、過去に起きたことが未来を決める、という決定論がくっついてきやすいのです。
心理学にはフロイトのように、過去のトラウマが現在の自分を決めているとする考え方があります。この考え方の中にいると、過去に不幸があった人は、未来も不幸だという理屈になってしまいます。実際に、過去の出来事に縛られて動けなくなっている人は多くいます。
時間は未来から過去に流れる、という教えは、この決定論への反論でした。未来が上流にあるのなら、下流の過去は未来を決められないことになるからです。
苫米地氏は塞翁が馬の故事を引いて、未来の出来事によって過去の解釈が変わることを示しています。馬が逃げたことが不幸に見えても、その馬が名馬を連れて帰ってくれば、馬が逃げたという過去は幸運の始まりに変わります。未来は自分でゴールとして設定できるのだから、過去の意味も自分で書き換えられる、というわけです。
過去に縛られていた人にとって、この教えが救いになった面は確かにありました。僕自身、この部分にはいまでも価値があると思っています。
問題は、この本当の部分が「時間は一方向にしか流れない」「過去は一切関係ない」という極端な形まで押し込まれていることです。ここからは、その極端さが生む矛盾を見ていきます。
未来のボールを誰が決めるのかという問題
川の上流から、未来の出来事がボールのように流れてくる、というこのモデルには、最初の矛盾があります。それは、上流にボールを置いているのは誰なのか、という問題です。
現在の自分がボールを置けるのだとしたら、話は簡単です。ゴールを設定するというのは、まさに未来にボールを置く行為だからです。
ところが、この時間論では、時間は未来から過去への一方向にしか流れません。現在から未来に影響を与えるというのは、流れを逆流させることですから、できないはずです。
だとすると、ボールを置いているのは、現在の自分ではない誰かということになります。それが神のような存在なのだとしたら、自分は未来に介入できないことになります。過去に縛られる決定論から抜け出したはずが、今度は未来に縛られる決定論に入ってしまうのです。流れの向きが変わっただけで、自分の意志が無効であることは同じです。
未来の自分が決めている、と考えても解決しません。未来の自分にゴールを渡しているのは現在の自分ですから、結局、下流から上流への影響を認めることになるからです。
つまりこの時間論は、ゴール設定という自分の理論の中心を説明しようとした瞬間に、過去から未来への流れを認めざるをえなくなります。一方向という前提が、自分の理論と両立しないのです。
ケーキ屋のゴールと過去の記憶
矛盾はもうひとつあります。ゴールを作る材料の問題です。
例えば、将来ケーキ屋さんになりたい、というゴールを設定するとしましょう。このとき、なぜケーキ屋さんという発想が出てくるのかというと、過去にケーキ屋さんを見たことがあるからです。ケーキを食べた記憶も、お店で幸せそうな人を見た記憶も、全部過去のものです。
つまりゴールは、過去の記憶という材料から作られています。過去が未来に対して、思いきり影響を与えているわけです。過去の記憶が一切ない人には、ゴールのイメージを作ることができません。
実際、コーチングの現場では、過去のうまくいった記憶を素材にして未来のイメージを作る、という技法が普通に使われています。過去は一切関係ないという理論と、過去の記憶を使うという実践が、同じ体系の中に同居しているのです。
ここで考えられる反論として、「時間は幻想であって、過去とは現在にある記憶にすぎない」というものがあるでしょう。
その立場を取るなら、今度は、クライアントが過去の話をするのを止めさせる理由がなくなります。過去の話とは現在にある記憶の話ですから、いくら話しても現在の話でしかなく、何の問題もないはずだからです。過去の話を禁じるという運用そのものが、過去に力があることを認めてしまっています。
過去の無効化という実害
理論の中の矛盾だけなら、学者の議論で済みます。ただ、この時間論には実害があります。過去が一切無効になってしまうことです。
過去は現在に一切影響を与えない、を文字通りに運用すると、どうなるでしょうか。
誰かに殴られて、「あなたは過去に私を殴りました。謝ってください」と言ったとします。相手が「過去は現在に一切関係ありません。したがって謝る必要はありません」と答えたら、この時間論の中では、その理屈を認めるしかなくなります。謝罪を求めるというのは、過去の出来事が現在に影響することを認める行為だからです。
極端な例に聞こえますが、理屈としてはこうなってしまいます。約束も、契約も、責任も、全部が過去の出来事の上に成り立っています。だから、過去を無効にする思想は、これらを全部無効にできる思想です。
実際にこの時間論の世界では、コーチが経歴を書くことが否定されています。経歴は過去のものだからです。過去を扱った瞬間に本物のコーチではないとされる、という運用までありました。経歴や履歴を無効化する考え方は、突き詰めれば、歴史や文化のような積み重ねを無効化する考え方でもあります。
そして何より、この教えのもとでコーチングを受けてきた人は、自分の過去を話すことに罪悪感を持つようになります。過去を整理したくて相談に来た人が、過去を話すことすら許されないというのは、あべこべなことだと思います。
前提知識として縁起
壊すだけで終わらせるつもりはないので、ここからは僕がたどり着いた代わりのモデルをお話しします。その準備として、仏教の縁起という考え方を先に説明しておきます。
縁起とは、相互依存の関係性のことをいいます。すべてのものは、それだけで独立して存在することができず、他のものとの関係の中でしか成り立たない、という考え方です。
例えば、「大きい」と「小さい」で考えてみましょう。アリは小さくてゾウは大きい、と言えるのは、両者を比べているからです。世界にアリしかいなかったら、アリが大きいのか小さいのかは決められません。「大きい」は「小さい」があって初めて成り立ち、「小さい」も「大きい」があって初めて成り立ちます。どちらかが一方的に決めているのではなくて、相互に規定し合っているのです。
この相互依存の関係性が、縁起です。仏教では、すべての存在がこの形でしか成り立たないと考えます。
過去と現在と未来の相互依存
この縁起を、時間に当てはめてみます。
過去、現在、未来という3つの概念も、相互依存で成り立っています。現在というものを指し示すには、過去と未来が必要です。「今」と言えるのは、もう過ぎたことと、まだ来ていないことの間にある、という関係があるからです。同じように、過去を示すには現在と未来が必要で、未来を示すには現在と過去が必要です。
3つの点が互いに支え合っている三角形をイメージしてもらうと、わかりやすいと思います。どれかひとつが欠けると、残りの2つも成立しません。
だとすると、時間の流れは一方向ではありえないことになります。過去が未来を規定し、未来が過去を規定するという、双方向の関係性が時間の正体だからです。流れというのは、この関係性の方向のことです。
このモデルで見ると、ここまでの話が全部すっきり整理できます。
未来のゴールによって過去の意味が変わる、というのは本当です。塞翁が馬の故事の通りです。同時に、過去の記憶を材料にして未来のゴールを作る、というのも本当です。ケーキ屋の例の通りです。双方向なのですから、どちらも成り立ちます。矛盾していたのは現実のほうではなくて、一方向という前提のほうだったのです。
未来から過去に流れる時間を否定しているわけではない、というのが大事なところです。未来のゴールが過去の解釈を変えるという方向は、確かに機能しています。間違っていたのは、その方向しかないとしたことでした。
過去の正しい扱い方
最後に、このモデルから出てくる、過去との付き合い方をお話しします。
過去は、あなたを縛る鎖ではありません。そして、無効化しないといけない汚れでもありません。過去は、未来を作るための材料です。
ゴールは過去の記憶という材料から作るものですから、材料は多いほうがいいのです。うまくいった記憶はもちろん、うまくいかなかった記憶も、自分がどういう条件で動けて、どういう条件で止まるのかを教えてくれる資料として使えます。
そして、ゴールを持って考え方が変わると、そこから先の現実が動き出します。意識して変える行動もあれば、自分でも気づかないうちに変わっていく選択もあって、道筋はひとつではありません。現実が動き出したとき、過去の意味も、あとから変わっていきます。あのつらい時期があったからいまの自分がある、という書き換えは、過去を消したから起きるのではなくて、未来を変えたことの結果として起きるのです。
過去を無効化して自由になるのではなく、過去を材料にして未来を作り、その未来が過去の意味を変えていく。縁起の双方向モデルが教えてくれるのは、この循環だと思います。
過去は一切関係ない、と自分に言い聞かせながら、それでも過去がちらついて苦しんでいる人は多いと思います。過去がちらつくのは、あなたの実践が足りないからではありません。過去を消すという前提のほうが、そもそも時間の構造に合っていなかったのです。
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